働くと言うこと

3度目になりました。

カレー屋さんで7年も働いて、最終的に店長までにはなったのですが、上司の訳の分からない責任転嫁がきっかけで辞める事を決意した訳ですが、職の当てなんてある訳もなく。。。

3度目の転職に向け、就職活動をする事になりました。

意外と見つかるもんで

飲食店専門の求人サイトを見つけて、すぐに登録。

好きなもの繋がりで、『肉』それも『牛肉』が良いなと。

当時、肉バルがすごい流行ってて色んなオシャレなお店がいっぱいありました。

ほとんどが、街中だったので自分が住んでる所からだとちょっと遠いなと思いつつ。

気になるお店を発見。

イタリアンテイスト強めの肉バル。めっちゃオシャレ!!40を超えたおじさんには似合わないかな^^;

まあ応募するだけしてみようと、応募したらトントン拍子に採用となり、あっさり転職先が見つかりました。

ここは地獄ですか?

社長と部長はいい感じの人だったので、すっかり安心していたのですが、実際にお店で働き初めてみると、仕込み中は店内の電気はほとんど着けず薄暗い。真夏の店内でエアコンも着けず、仕込みで汗だくになる中、会話もほぼない。

何を聞いても最小限の返答のみ。息が詰まる。。。

仕事を教えてくれた先輩は職人気質なのか、仕事は見て覚えろと言う感じ。

飲食店なんてそんなもんだろと思う人も居ると思いますが、ここは度を越していました。

ラーメン屋の時も、カレー屋の時もちゃんと会話はあった。もちろんゴリゴリの飲食出身の人も居た。でも会話はちゃんとあった。

流石に限度と言う物があるでしょ。

店長は重役出勤で、来てからずっとPCを触っていたから何か事務的な事をしているのかと思いきや、ゲームしてる。。。えっ!?マジで!?

転職したばっかりで不安と息苦しさと、過酷さに早くも根をあげそうでした。

元うつ患にとってはかなり苦しい環境です。精神がどんどんすり減って行くのが分かる。落ち着いていた動悸が時折再発、頭も軽度のパニック症状が出始める。

『あっやばい』頭の中に何度もよぎる。

心が壊れそうなのを何とかして繕いながら、必死に平常心を装い頑張っていましたが、昔ほどメンタル耐久性能は無く。紙装甲。

新人がもう一人入ると言う話を聞いて、何かに縋る思いで精神を繋ぎ止めていました。

一ヶ月後にやっと新人が入ってきてやっとまともな会話が出来ると思いきや、もっとクセのある人だった。。。

ここは地獄ですか?

そこからは早かった

もう無理だこんな環境でまともに働ける訳がない。

また一ヶ月後にもう一人入ってくるらしいが、もう期待は持てない。

そもそも何でこんなに社員が少ないのかちゃんと考えれば気付けたはず。。。

結局そう言う事なんだよ。

またクセのある人だったらもう俺は店で暴れてしまいそうだった。

『辞めます』程なくして営業終わりに店長に伝えました。

飲食店への淡い希望や夢はこの時、崩壊しましたね。

でも次に入ってきた人はとても良い人で、この人とだったら一緒に働きたいなと思いましたが、既に辞める決意をして店長に伝えていたので店に残る気はありませんでした。

店長に退職を伝えてから一週間後ぐらいに社長から一度話をしようと声をかけられ面談する事に。

店舗移動

社長から入ったばかりで、もったいないと言われた。今の店が嫌なら他にも店はあるし業態が違う店もあるからそっちで働いてみないかと言われた。

散々迷ったが、年齢も年齢なので違う店舗で環境が変わるならやり直せるかもと思い、店舗異動をお願いしました。

また一からやり直し、なかなかうまく行かないもんです。

人生って山あり谷にあり、平坦な道はありません。

ABOUT ME
kotetsu
高校卒業と同時に半導体メーカーで17年勤務。ストレスと過労と睡眠不足に精神と肉体が耐え切れず、うつ病を発症。ボロボロの状態で病院に連れて行かれ、そのまま入院。入院中に退職を決意し、何とか引き継ぎをした後、1年近い療養生活に入る。 やりたい事を見つけ飲食業の世界に飛び込んだものの三ヶ月で病院に逆戻り、2回目の入院生活を送る。退院後また飲食の世界に入り完治しないまま自分を何とかコントロールしつつ、転職を繰り返し今の店に。 年齢と老後と給与を考えるとこのまま行くと『老後に不安しかない』と思い始め、少しでも生活の足しにでもと腐りかけた脳をフル回転しても足りてない? そんな元?うつ病患者の40代飲食店従業員のアフィリエイトブログ。